20141229

音の記録、音の記憶。岡利次郎さんのこと(1)

メインマシンであるMac G5が壊れるという事故が先月あり、そこに保存してあった一部のデータを失った。その中に音楽を録音したAIFFとMP3ファイルがあった。中身は過去の(かなり昔の)ピアノ演奏の録音で、オリジナルはカセットテープ。カセットウォークマンのような再生機をMacに変換ケーブルでつなぎ、SoundStudioというソフトをつかって取り込んだものだった。

どうしようかと思ったが、カセットテープはどんどん劣化するので、とりあえず新しいMacかノートに取り込んでおこうと思った。それで過去のテープを屋根裏部屋から持ち出し、聴く羽目になった。古い写真というのは、誰もが少しはもっているものだと思うが、音の記録というのは(ヴィデオなど映像の記録はあるだろうけど)、案外ないものだ。

古い音の記録を聴いていていろいろ発見があり、また忘れていたことを思い出したりもした。テープに残っているピアノ演奏は、20代後半から40代にかけての頃、演奏会場やピアノのレッスン室で録音されたものだ。その約十年の間、師事していたのが岡利次郎さんである。

ピアノは小学生の頃習っていた。自分からというよりはやはり親の希望だったと思う。母親もピアノが弾けたので。中学生になると、東京から四国へ引っ越したということもあり、ピアノの練習に行かなくなった。その頃、興味を持ち始めた音楽はクラシックではなくロックだったし、ピアノというのは毎日の練習が必要なこともあって、面倒な相手だった。練習をさぼれば、先生の家に行ってもうまく弾けないから、行きたくなくなる。多くの子どもが、中学生前後にやめているのかもしれない。バイエルを終えて、ソナチネを弾きはじめる頃だ。

しかし不思議なもので、そんな中途半端な習い方しかしなかったのに、大人になってから機会があればピアノに触りたいと思っていた。誰かの家に行って、そこにピアノがあれば弾かせてもらったし、弾きたい欲望がつのり、我慢しきれず近所の貸し練習場に行ったこともある。そしてアパート暮らしだった20代の半ば頃、アップライトの電気ピアノ(弦は張ってあるが普通より短いので、大きな音がしない。大きな音を出したいときは電源を入れる)を買った。暇があれば弾いていた。独習をしていた。あるときもっと上手くなりたい、と強く思い、先生を探し始めた。生意気にも、誰でもいいわけじゃない、と思っていた。

あるピアノ教育雑誌を見ていて、小学生の男の子が自分の受けているレッスンとその成果について語っているのを読んだ。細かいことは覚えていないが、何かピンとくるものがあり、自分もこの人に教えてほしいと思った。雑誌社に聞いたか何かして、住所を調べ、そのピアノ教師に手紙を書いた。作曲家でピアノ教師、リズム研究家の岡利次郎、それが岡先生との出会いだった。

手紙を出してしばらくして、、岡利次郎さんから電話がかかってきた。一度先生のお宅に行って、話をすることになった。杉並の岡先生の家は、木造の平屋で、道路に面して板張りのレッスン室があった。部屋の中央にグランドピアノが置かれ、壁際には本がたくさん並んでいた。レッスン室のピアノの音は、道行く人の耳に届いてたと思う。最初の訪問のとき、少し話をしたのち、何か弾くように言われ、ハイドンのピアノソナタの緩徐楽章を弾いた。その頃、自習していた曲で、譜面は簡単なのだが、ハイドンらしい正直で透明感のある美しい曲だった。

弾き終わると、「指が少し弱いようだけれど、音楽への問いかけが感じられてよかったですよ」と岡先生が言った。ずいぶん前のことだけれど、よく覚えている。

それで岡先生のもとで、ピアノのレッスンを受けることになった。家から電車やバスを乗り継いで一時間半くらいかかることもあり、二週間に一度の夜のレッスンになった。スタートはバイエルと岡先生自身が作曲、編集した入門のピアノ教則本と言われた。これは音大のピアノ科の生徒でも同じだ、とのことだった。つまり初めてピアノを弾くつもりで、レッスンに臨むということなのだろう。のちに会った同じ門下のピアノ科卒の元音大生は、バイエルを終えるまでが大変だった、と言っていた。

ベートーベンでもドビュッシーでもリストでも自在に弾く音大生が、バイエルで苦労するとはどういうことか。わたし自身のことで言えば、岡先生のところで手にした最大の財産は、ハーモニーとアウフタクトの感覚だった。それは未知のものと言ってもよかった。少なくとも明確に意識されたものとしては。どちらも「日本人」のからだや感覚には備わっていないものだ。あるいは、日本の文化環境の中には存在しないものだ。

子どもの頃ピアノを習っていたときは、まったく別のことに気を取られていた。教えている先生の方もそうだったのではないか。まず譜面をまちがわずに弾くこと、音高、音長、拍、テンポ、f(フォルテ)と楽譜にあれば強く弾き、p(ピアノ)とあれば小さな音で弾く、クレッシェンドはだんだん大きく、ディミヌエンドはしだいに小さく、というように。ほとんどそれが全てだった。「ここのメロディーはもっと歌って」くらいのことはあったかもしれないが。日本の子どものピアノ教育は、今でもあまり変わっていないかもしれない、と想像される。近所のシティホールで子どものピアノの発表会を覗いたことがあるが、だいたいそんな感じだった。

では譜面をまちがわずに弾く以外に何があるのか。表現力? それは、たとえば、「気持ちを込めて」弾けば、達成できるものなのか。日本の伝統音楽であれば、「気」を入れて弾くことが表現力につながるかもしれない。しかし西洋音楽はもっと構造的、構成的にできているので、気を込めただけでは表現に至らない。一度高度な楽譜を弾けるようになった者が、岡先生のレッスンではバイエルから始めなければならない理由はそこにある。

西洋音楽を遡っていくと、10世紀以前のグレゴリオ聖歌にたどりつくのかもしれないが、現代のピアノ音楽の原型となるものでいうと、おそらく18世紀のバッハあたりではないか。対位法があり、のちの和声音楽への発露となっている。ピアノの入門書であるバイエルも、この和声音楽が基本となっている。つまりハーモニーをもった音楽、バスがありその上にそれに沿ったメロディーが乗せられるスタイルの音楽だ。(つづく)

20141215

スポーツ観戦から見えてくるもの(+蓮實さん発言への疑問)

テレビでスポーツ観戦していると、試合の中身だけでなく、その周辺のいろいろなことに気づかされることも少なくない。試合会場のデザインや観客の様子、実況の際のカメラワークや試合に関する情報提示の仕方、実況アナウンサーやコメンテイターの発言の質、また試合のあとで目にする試合に関する記事や批評もその中に含まれる。

わたしの場合はスポーツ観戦と言えば、9割方がサッカーの試合になる。そのうちの9割はヨーロッパのリーグ戦観戦だ。中でもイングランド(イギリスのサッカーは、連合する四つのカントリー別に、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドとリーグがある)はシーズンを通して多くの試合を見ている。また最近は、ヨーロッパの各国リーグの王者によって戦われるチャンピオンズリーグも放映されているので、見ることが多い(CATV)。

それ以外に、4年に一度のワールドカップや、日本代表チームの公式戦を見たりもする。ただ日本のチームに特別な思い入れはなく、たくさんあるチームの一つとして見ている。2002年の日韓ワールドカップ以来、2010年までは韓国代表を応援していたが、今は特別どこの国のチームを応援するということはない。ここ数年で言うと、アメリカ、ガーナ、メキシコなどは、かなり好意をもって見ているチームではある。彼らは強豪チームではないが、ときに強豪チームを脅かすこともあり、明快なプレイと高い志で、いつも見ている者の心を熱くさせる。

スポーツとは何かと言えば、競技者が相対する者との間で技や頭脳やパワーを競い合い、勝利を手にすることを目指す人間の活動だ。そこにはルールがあって、参加者全員がそれに従う。日本発の競技「すもう」には、行司という審判がいるが、サッカーの場合はレフェリーが試合をコントロールする。最近はビデオ判定を取り入れるかどうかの問題も出てきているが、今のところ多くは人間(レフェリー)が判定している。新しいところでは、ゴールライン・テクノロジーというものが使われ始めた。ボール全体がゴールラインの内側に完全に入らないと得点にならない、というルールから、判断が難しいものはその技術を使って、試合中に検証が行われ、ゴールかどうかはその判定機が決める。視聴者にはグラフィックでその判定の状況が示される。いかにも今の時代の競技という印象だ。

またサッカーではスタジアムに来ている観客の中で、どちらかのチームを支援、応援している人々をサポーターと呼んでいる。その試合だけ、シーズンだけ、ということはなく、何年にも渡って応援し続ける人々のことだ。熱心でお金のある人は、シーズンチケットを買い毎週末にスタジアムに足を運び、アウェイ戦のときも応援に行く。イングランドのリーグでは、サポーターの有力グループが、クラブチームの監督やフロントと話し合いをもつこともあるという。サポーター抜きには競技のことが考えられないくらい、影響力が大きいのだろう。試合の中での遠慮ないブーイングや拍手、支援やからかいのチャント(メッセージを伝える応援、または非難の歌)は、試合の流れに影響を与えることもある。ゴールを決めたとき、得点した選手がサポーターが陣取っているコーナーに走っていって雄叫びをあげる。サポーターたちは腕を振り上げ、歓声をあげてそれに応える。ゴールが試合にとって決定的なものであればあるほど、両者の歓喜の交換は熱く激しいものとなる。

イングランドのリーグの試合会場は、1、2万人収容の小さいところも、8万人規模の大きいところも、観客席とピッチが非常に近く、高い柵や壁もないのでプレイする選手が間近で見える。前の列の人々はフィールドと同じ高さの席にすわっているから、目の前を選手たちが疾走するところを、息づかいや通ったときに起きる風も感じているのではないか。ときに選手が蹴ったボールが客席を襲ったり、選手そのものが(走り込んだ勢いで)客席に飛び込んだりすることもある。この近さは、場合によっては危険がともなうかもしれないが、おそらくイギリスでは、この臨場感も含めてサッカーのエンターテインメントの一部なのだろうな、と日本に住むわたしは思う。

1960年代から90年代にかけて、イングランドをはじめとするヨーロッパでは、フーリガンと呼ばれる試合中に暴動を起こす観客集団があったというが、今は(中でもイングランドは)とても平和的で家族的な雰囲気をたもっている。観客席には子供や女性、年配者たちも多く、試合中のカメラワークでも観客席で見つけた面白いショット(居眠りしている人とか)、可愛いショット(子どもが何か夢中で食べているとか)、ピッチで遊ぶスズメなどをよく選び出して映している。どのように人々がサッカーを楽しんでいるか(楽しんでほしいか)の主催者側及びメディアからのアピールだと思う。今やイギリス国内だけでなく、世界中の何億人もの人々が注目し楽しんでいるのだから、その影響力を考えれば、当然といえば当然かもしれないが。

そのようなイングランド・サッカーも、試合の中身となると、かなりの激しさやパワーの爆発があり、ときに流血や骨折、脳震盪などの事故も起きる。それほど少ないわけでもない。毎試合ということはないにしても、ある週に行われた10試合のうちで、2、3試合でなんらかの事故があってもそれほど驚くことではない。サッカーというとパス交換などでボールをうまく扱いゴールまで運ぶ、というイメージがあるかもしれないが、1対1、1対2や3での体と体のぶつかり合いが試合中の大きな部分を占めている。またそこに、その激しさやパワーの衝突に、見る人は熱狂もする。それはサッカーがボールを奪い合うゲームだからだ。

イギリス中西部の小さな町アッシュボーンで、中世に端を発した「サッカーの原型」と言われる競技が、今も毎年2月に行われている。川を挟んで北側の住人アッパーズと南側のダウナーズが、一つのボールを取り合って、川の中の土手に作られた自陣のゴールまで運ぶ。フィールドは町全体。ボールをゴールマークに三度打ち付けたら得点、というルールとか。下は14歳くらいから年配の人まで、町じゅうの人(数千人)が参加してボールを追いかけ、奪い合い、スクラムを組んでボールを囲い込み、押し合いへし合いの肉弾戦、ときにボールを蹴り上げたり遠くに飛ばしたり(ブレークと呼ばれる)、午後から夜にかけて何時間も町の中を走りまわる。お祭りの遊びなのに、人が死ぬのではというくらい、男たちの戦いは激しく熱い。ドキュメンタリー番組で見ていて、サッカーの原型はこれか、と妙に納得した。

今年のブラジルW杯のあとに、朝日新聞のオピニオン欄で、「W杯の限界」と題した、仏文学者・蓮實重彦さんのインタビューがあった。蓮見さんは、ブラジル代表のネイマール選手がコロンビア代表選手の蹴りを受けて、試合中に骨折したことをあげ、国を背負って戦うとこういうことが起きるのだ、と言っていた。また準決勝でブラジルがドイツに7対1で大敗したことをあげ、あれはもうサッカーではない、人の道を外れていると語った。

新聞の三分の二の紙面をつかったこの記事を読んで、はてな、と思った。そうだろうか。国を背負って、というけれど、確かにそういう面は今でもあるとは思うが、そのせいであのような事故が起きたり、「人の道を外れた」試合が生まれたりするのだろうか。今の選手たちは(発展途上のあまり強くない日本代表チームの選手でさえ)、代表でプレイすることと、自分の仕事場であるクラブチームでプレイすることを秤にかけているところがあり、代表「命」一辺倒ではない(複数の国籍を有し、どこの国の代表になるか迷う選手も少なくない)。日本の選手で言っても、ヨーロッパの有力クラブに入れた選手などは、本人だけでなく周囲の関係者(日本サッカー協会なども含めて)、代表戦で日本に帰ることが、クラブで不利に働かないよう気をつかっているように見えることがある。

確かにブラジル代表の選手たちは、自国開催でもあり、国歌をうたうときもかなり力が入っているように見えた。「優勝が使命」などの言葉もあったかもしれないが、自分たちの実力は優勝できるところまで行っていない、とW杯前に正直に語る中心選手もいた。ブラジルの国民にとっても、今回のW杯開催はもろ手をあげての賛成ではなく、試合会場のある町もお祭り騒ぎはなく平常に近かったと聞く。

W杯のような場は、今ではヨーロッパの有力クラブに移籍したい選手たちの、格好のショーケースにもなっている。蓮見さんが言うように、W杯では「国を背負って必死になって戦う」ということだけではない面がたくさんあるのではないか。

「(準決勝の)ブラジルの7失点、あれはもうサッカーではない。ドイツ代表は精神分析を受ける必要がある。人の道を外れているとしか思えない」と蓮見さんはインタビューで言っていた。それは開催国でありサッカーの神様とか王様とか言われるブラジルだからなのか。カメルーンとかホンジュラスなどの弱小国であればかまわないのか。6点7点の失点は、サッカーではないことではない。両チームの力の差が大きい場合、あるいは力に差がなくても失点した方のタガがどこかで外れ、集中力と意欲の著しい減退が起き、失点を重ねるケースはある。しかし5点失点したのち、5点取り返して引き分けに持ち込む例もある。それがサッカーのミラクルだ。

蓮見さんがなぜ「人の道」という言葉をつかったのかよく理解できないが、確かに大量失点は、当事者選手にも見ている人にも大きなショックを与えることは事実だ。力と力がぶつかり合うサッカーでは、どれだけ平常心で状況を見て試合を運べるか、は一つのポイントだ。ドイツが7得点したのは相手がブラジルだったからかもしれない。準決勝でなければ、あるいは相手がコスタリカとかベルギーであれば、別の戦い方をしていたかもしれない。勝つか負けるかの一回勝負で、相手がホームのブラジルであれば、強いと言われるドイツであったとしても油断は禁物だった。流れが相手側に行かないように、勝利を確実なものにしておく必要があったし、また決勝戦への布石を敷いておく必要もあった。

そういう意味で、ネイマール選手が負傷したのも、ブラジルが大敗したのも、極めてサッカー的な出来事だと言えると思う。楽しいことではないが、この辛さや無情さに耐えることも、サッカーを長く見ていくときの醍醐味の一つとなっている。蓮見さんはこのブラジル大会を見て、もうW杯は徹夜してまでも見たいものではなくなった、と言っていた。では蓮見さんが見たいサッカーとは、スポーツとは、どういうものなのだろう、といま考えを巡らしている。

20141201

東京オリンピックと新国立競技場のこと

オリンピック、国立競技場、どちらにもさして興味はなかった。そんな中スポーツライターの杉山茂樹さんのブログを読んでいたら、新しくできる国立競技場には大きな問題があるらしい、ということがわかった。

何が問題なのかと言えば、まず作ろうとしている新競技場が巨大な大きさ(現在の4倍)で、敷地に余裕のない明治神宮外苑に配置するにはいっぱいいっぱい、景観的にも無理があるということ。またその巨大さのため建設費、維持費ともに予算を大きく上まわり、そこにも無理が生じているらしい。採算を取って資金を回収するために、スポーツだけでなく、八万人規模のライブができるよう可動式屋根をつけることになっているが、その費用が莫大なだけでなく、日照の問題から本来の使用目的である競技場の芝を正常に保つために、そこにも大きな予算が必要となるという。

あれほど熱心にオリンピック誘致を進めてきた東京都と日本の政府であるが、やっとそれに成功したというのに、何故その中心となる国立競技場がそんな問題絡みなのか、不思議なことである。問題になっている新国立競技場は、東京オリンピック誘致成功より前に、そのプランが決定されていたと聞く。オリンピックを目指しての「スクラップ&ビルド」計画だったのだと思う。

コンペで勝ったのは、イラク出身のイギリス人女性建築家で、そのニュースは確かに以前聞いたことはあった。建物の外観は、いわゆる「近未来的」なボリューム感のある、巨大な流線形の宇宙船のようなデザインだ。インパクトがあって、美しい外形だとは思うが、2020年の開催、そしてその後20年、30年と存在するものとして考えると、あまりに「ベタ」で少々「古臭い」という感じももってしまう。少し前の時代に多くの人が夢見、あこがれた「近未来的なもの」「強くて圧倒的な存在」を再現しているような。

しかしこの決定した建築案は、どうもそのまま実行されるわけではないらしい。一つは予算が大幅に超えてしまって実現不可能であること、それに加えて敷地的な問題があるため、設計案にある外観の一部を切ってしまうらしい。デザイン変更の権限が施主側にあるということなのかもしれないが、設計者がこれをどう思うかは大いに疑問だ。流線形に長く伸びた特徴的な尻尾のような部分が、削除の対象らしい。これを取ってしまった後の外観デザインは、亀の甲羅のようで、元のデザインの良さはほぼ消えてしまっているように見える。「これは私のデザインではないから、設計者の名前を削除してほしい」と言われても仕方ないだろう。

競技場案
(左:2013年3月時点案、右:現在案)

いくつかの本(「異議あり!新国立競技場」「新国立競技場、何が問題か」)を読んでみたところ、このようなことが建設前から問題になっている原因の一つは、コンペの応募要項に不備があったためのようだ。応募の際、建物がどのような環境の敷地に建てられるかという、建築の前提条件とも言えるものが、なんら示されなかった。建築の素人からみても、ちょっと考えられないことだが、実際そうであったようだ。そのため神宮の森に囲まれた狭い敷地に、現在の競技場を上まわる、周囲を威圧するような巨大な建物のプランが投稿され、それが通ってしまった。新競技場の建設にあたっては、相当数の木を切り倒す必要があり、また建物の高さが現在の2倍以上と高くなるため、森に囲まれた競技場は消失し、木々は建物の影に追いやられるようだ。この地区は風致地区として15m以下という高さ規制があるようだが、新国立競技場は計画では70mの高さとなっている。元はと言えば、たった二週間のオリンピックなのに、制度を破ってまでこの地区の環境を変えてしまおうとしている。一事が万事インチキくさい。

国立競技場のような公的な建物ができる際には、プランが正当なものか審査する機関があってしかるべき、と思った。それはあるにはあったらしい。しかしどうも正常には機能しなかったようだ。福島原発の問題でもそうだったが、日本では関係者以外の中立的立場にある第三者機関というものが、正常に機能することが少ない。関係者、受益者の意に沿った結論にたどりつくよう、事が進みやすい傾向がある。審査委員会には著名建築家の安藤忠雄さんがいるそうだが、建築家グループや社会学者、市民団体のプランへの疑問に対して、委員会としてきちんとした説明はなされたのだろうか*。審査に参加していたはずの外国人建築家二人は、審議の際来日することなく、自国でボードを1枚見ただけで返答したとも言われている。

こういうお粗末さ、プロジェクトの過程のいい加減さ、は確かに、日本国においてはそれほど珍しいことではなく、めくじら立てることでもないのかもしれない。しかし福島原発の事故のときに、多くの人がそれではいけない、と思ったのではなかったか。

2012年のロンドンオリンピックでは、建築や街の景観を向上させる意図で国が創設したCABEという、高度な専門家からなる第三者機関が大きな役割を果たした、と言われている。日本でもこういう機関が正常に働くことがあれば、競技場だけでなく、オリンピック全体にもっと現代的、未来的な意味づけを探ったり、今までにない考えをもたらしたりすることができるのではないか。

日本がもし、成熟した市民社会を未来的な目をもって建設しようとするなら、その目指すところは発展過程にある北京やドバイではないと思う。アッと言わせるような巨大な建物で来た人を驚かすのではなく、30年後、50年後も視野に入れた、持続可能な街づくり、それに伴う街の景観を目指すほうがいい。

今後の時代の移り変わりを想像すれば、これからの未来的な競技場はもっと違った、思いもよらぬ形をしているのでは、と考えてしまう。たとえば外観には居丈高なところを少しも見せず、シンプルながら隅々まで賢くプランされているとか、既存の環境の中に「存在しない」がごとく静かに溶け込んでいる、とか。そこに既にある命あるものを否定し破壊して、まっさらにした上で、自分の好みの異なるものを植えつけるのではない方法。それを実現する高度な技術と思想こそ、今問われていると思う。

競技場は2週間のオリンピックの間だけ存在するのではない。だとすれば、それは街の一部であり、周辺の住民やそこを通ったり遊びに来たりする人たちのためのものでもある。神宮外苑という都市の中の貴重な森、そういうロケーションを考えればなおのことである。

参照:
杉山茂樹さんのブログ



森まゆみ編 岩波ブックレット(2014.4)
「異議あり! 新国立競技場 / 2020年オリンピックを市民の手に」

槇文彦・大野秀俊=編著 平凡社 (2014.3)
「新国立競技場、何が問題か / オリンピックの17日間と神宮の杜の100年」

2014年8月
この中で安藤さんは、全体のプランにおける自身の権限はそれほど大きくないこと、デザインの選考については「2020年に向けて心が一つになるような、祝祭性のあるデザインをテーマに掲げ、審査委員会の総意として選んだ」「50 年、100 年先を見据え、この場所にあって良かったと思えるような、誇りの持てるデザインであるかどうかを重視した」と述べている。